Google VS Facebook (1)誇張的に比較対比、誇張することで何か重要な本質が見える
ひさびさに春山さんの記事から。私も最近フェースブックを本格的に始めた事もあり、基本的に全面的に同意。
そのうちみなさんがEメールアドレスではなくフェースブックのアドレスをお持ちになるのが、当たり前の日がやってくると思っている。
(以下全文引用)
1995年以降、インターネットを支配してきたルールを変える可能性がある。
2009年までのインターネットの勝者はGoogleだった。
2010年になって隆盛を極めてきた新参者のFacebookはGoogleの造り上げたルールを変えつつある。GoogleもMicrosoftを追放して王者にのし上がった。今度はGoogleが追放されてもおかしくは無い。
両者をやや誇張的に比較対比してみたい。誇張することで何か重要な本質が見えるように思うからだ。とりあえず今日は列挙だけしてみる。
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1:閉じられたFacebook、開かれたGoogle
2:検索されない情報は存在しないに等しいと豪語したGoogle、仲間や家族感でのみ共有されてこそ情報の価値が生かせると主張するFacebook
3:探り出し白日の下に暴きだすGoogle、守りとおすFacebook
4:所詮人間はエゴイスティックで欲望に支配され「寄らば大樹の下」だと開き直るFacebook、宣教師的に清く正しく強く生きようと言うGoogle
5:知識経験は全員に開放して人類の進歩に役立てるべきだと主張するGoogle、生み出した利害関係者内で利用すべきだと考えるFacebook
6:情報を公開して下剋上を促進するGoogle、情報は選ばれたグループにとどめて秩序を維持するべきと示唆するFacebook
7:人間は情報を与えれば「1を聞いて10を知る」と信じるGoogle、大衆は情報を与えても熟慮せず付和雷同するモノだと看過するFacebook
8:情報を公開して多数の眼で監視する社会を信じるGoogle、少数の優秀な専門家の眼力の効率性を重視するFacebook
9:実力勝負&信賞必罰のGoogle、実力競争は「常時、後和算で願いまして」で非効率で辛いと主張するFacebook
10:独立した個性、努力する人間を基本にするGoogle、人間は欲深く、力のある者や金持ちにぶら下がると開き直るFacebook
11:非公開時代のGoogleがMSFTとYhoo!を駆逐したプロセスが、2010年のFacebookのGoogle追い詰め状況で再現されている
12:Googleの検索&公開主義は全てを白日の元に晒す容赦なきパワーを持っている。それに耐えられない人もいる。Facebookの内輪で仲良く見せびらかすクラブ主義は弱い人間の逃げ込み場所を提供している。厳しい現実社会の競争や不景気の苦しみに対して人々に安らぎを与えている
13:偽善でも良いから進歩したいGoogle、現実を直視し開き直るFacebook、同一人間の「Dark-side & Bright-side」に見える
14:1993年に登場したブラウザMosaicを起点としてネットの解放が始まり、2000年にヤフーのサーチエンジンにGoogleが採用されて情報公開が加速した。2006年に一般ユーザーに開放されたFacebookが2010年はGoogleをいら立たせるようになった
15:1993年から2009年までは既存秩序を破壊する勢力が下剋上を謳歌したが、2010年を境に下剋上のもたらす変動が大衆に嫌悪され始めたのかもしれない。Facebookはそういう時代風潮を背景に閉鎖されたネット世界を増殖させる
16:Facebookのように閉鎖されたネット社会に良質な情報が集中すれば、Googleの主張する開かれたネット世界に流通する情報の質は劣化する。塀に囲まれ一般人が侵入できない優良邸宅地域と無法地帯のハーレムとは言いすぎかもしれないが
17:面と向かってはコントロールできる感情も、匿名なら罵詈雑言にブレーキが無い。これに嫌気をさした人はFacebookに向かうだろう
18:Facebookの隆盛は情報の囲い込み傾向を増長し、副作用としてメディアが希望する「情報の有料化=ネット情報への課金」が促進される。「壁の向こうの情報は儲かるらしい」と思いがちな部外者は踊らされ金を払ってしまう
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