点と点がつながって線になるということ~ライブドア退職のお知らせ
ライブドアの田端さんが退職されるそうだ。春山さんのブログ。踏み上げさんのブログ。色々なところで、田端さんにお世話になったし、小生の記憶が間違いでなければ(笑)、お世話したこともあったはずだ(さっさと、春山さんに連絡取れ、とハッパをかけたのは小生だったと記憶している(笑)。)。
希望の仕事で、希望のポジションで、なに不自由ない暮らしをエンジョイをしてるとばかり思っていた。
突然の今日の退職の告白。正直、大変驚いた。
田端さん、色々とありがとうございました。
そして、これからも色々と教えて下さい。
(以下、氏のブログ記事一部引用)
中学生から高校生になると、近所の本屋に置いてある本や雑誌では物足りなくなった。
さらにすると、行き先は、電車に小一時間ほど乗り、さらにバス代を節約するために30分以上を歩いて辿り着く、金沢市の中心部の本屋に変わった。
その頃は、毎月、STUDIO VOICEに掲載される高城剛のコラムやRockin on Japanの電気グルーヴのインタビューが大のお気に入りで、月に一度、書店に平積みになった新しい表紙を見つけると、心が躍った。(田舎の高校生の私にとって、想像できうる最高の職場というのは、マガジンハウスに勤めることだった。)
大学生になり、ヒマを持て余していた私は、なぜか、日吉の大学の図書館で、(今、思い返しても、創刊まもないWIRED日本版が、なぜに慶應の日吉図書館にあったのか、不思議でならない。)コバヘンさんが編集長を努める、創刊当初のWIRED日本版に出会った。
黎明期のインターネットの熱い鼓動と関係者の激情を、伝えるその雑誌に天啓に打たれるような衝撃を受けた私は、Macintoch LC630を買いに秋葉原に行き、BEKKOAMEという個人向けプロバイダに申し込み、WorldWideWebに出会うこととなった。
結果として、ダイアルアップの電話代に月5万円近く払うハメになり、テレホーダイ導入後は、昼夜逆転生活のため、大学を1年留年することになった。
思えば、メディアというものにどっぷりと浸りきった学生時代だった。
そんな私だったから20代半ば過ぎに、R25を創刊する際に、リクルートの役員会から
「ナショナルクライアントのブランディング広告を獲得する紙媒体のベストプラクティスを研究しつくせ!」
と宿題を出され、銀座の本屋であらゆる雑誌を買い込み、毎号の特集内容や発行時期、部数や読者プロフィール(性別・年代・収入など)と、そこに広告を出している広告主の業種や広告ボリュームを調べて、その因果関係を探るという仕事は、本当に楽しく面白い作業だった。
その際に手に取ったことがきっかけで、私はGQ JAPANを定期購読することになった。3年間の定期購読を申込むと、送料無料で30%も割引になる仕組みと、それを成り立たせているビジネスモデルに興味が湧き、GQ JAPANの発行元で、ラグジュアリーなブランディング広告獲得の世界的なベストプラクティス企業として、Conde Nastという出版社についても、調べることになった。
Conde Nastの米国での割引システムはもっと洗練というか過激であり、書店でバラで買うと1冊6ドルする雑誌が、定期購読すると1冊1ドルになったりする。
「これは不思議だ?この仕組は、どういう風にWorkしているのだ?」
と鮮烈な疑問を抱いたことが、今でも脳裏に刻まれているが、Conde Nastは非公開企業でもあり、社外からのリサーチには限界があった。ただ、欧米のメディア業界では、とてもRespectされている会社だということはよく分かった。
コンデナストを解説するWikipediaには、冒頭に以下のような文章が登場する。
Condé Nast is credited with creating the now widely used magazine marketing strategy emphasizing magazines focused on a particular class or interest, sometimes known as lifestyle magazines.コンデナストは、いわば「特定の読者層にターゲッティングされた広告メディアとしての雑誌」を発明した会社だったのだ。
コンデナストは、今日では、幅広く採用されている、特定の階層、興味・関心に明確にフォーカスする、いわゆる「ライフスタイル・マガジン」という雑誌のマーケティング戦略を発明したことで、知られている。
その後しばらくして、リクルート社内での講演会にマガジンハウスから引き抜かれ、GQ JAPAN編集長を勤められていた斎藤和弘さんが来られたときは長年の大ファンとして、ホールの最前列に陣取り、食い入いるように話を聞いた。
時は流れ、R25の創刊プロジェクトを経て、ライブドアに移り、メディア事業部長という役割を果たすことなった私にとって、上記に書いてきたような経験は本当に貴重な財産になった。
くしくも去年、WIRED日本版の編集長でもあったコバヘンさんが書かれた「新世紀メディア論」を読み、小林さんの文章は、再び私の人生に、いささかの影響を与えることになった。
私は小林さんが文中で繰り返し説かれる
(メディアの作り手の)「スピリットは形態に宿るのではない。」という言葉に我が意を得たり!と、何度も熟読し、ライブドア社内で周囲に、半ば「課題図書」としてススメまくった。
(=ゆえに紙かネットかの二元論は不毛)
「雑誌の本質は、コミュニティを産み出す力」
そんな私だから、齋藤さんと一対一でお会いしてみませんか?と仲介頂いた方からお誘いを頂いたときや、コンデナストという会社から正式にオファーを頂いたときは、本当に抗いがたい魅力を感じた。
しかし、ライブドアという本当に稀有なカルチャーと離れることや、事件以降、一緒にやってきたチームと離れることも心苦しく思った。そうして、悶々と考えていた私の脳裏をかすめたのが、手垢がついてはいるが、有名な下記の言葉であった。
未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない。私なりに熟慮したのだが、上記の言葉のように、今回頂いたオファーは、まるで私のこれまでの人生を見透かしたように、そっと差し出されたのだ。
君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。
だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで
必ず繋がっていくと信じなくてはならない。
by スティーブ・ジョブス
やはり、新しいドアを開けよう。
そう、そのように私は決心したのだ。
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な~んて、笑止千万。
読者の皆さん、長い長い私の「自分がたり」にお付き合いを頂きまして、有難うございました。
手短に申しますと、わたくし、田端は3月末をもってメディア事業部長の職を外れ、4月末付をもってライブドアを退社をすることとなりました。
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