タレブ ネット上でのダイエットを宣言
THE DEGRADATION OF PREDICTABILITY — AND KNOWLEDGE
NASSIM N. TALEB
http://www.edge.org/q2010/q10_1.html#taleb
NNTはご存知ブラック・スワンの著者。
上の文章を和訳してみることにします。
色々誤訳やらあると思うので、そのあたりはコメント欄にお願いします。
コメントは承認制にしております、直ぐには表示されませんがご了承ください。
情報がホモ・サピエンス(訳註: 知恵のある人)を馬鹿に変えることが情報の持つ問題だ、と私は考えていた。
情報を得る結果、特にひどいノイズにくるまれた分野(疫学、遺伝学、経済学など)において、私たちは過度に自信を得る。
そのため、私たちは実際に知っているより多くのことを知っているという考えにたどり着き、そのため経済活動で馬鹿なリスクを取ってしまう。
私は(株式)取引を始めたとき、ニュースの量を減らすように取り組んだ。
その結果もっとクリアに物事が見られるようになった。
また、ランダム効果で誤魔化された不毛なニュースを基に、どのようにして人間が沢山の理論を形成するかを見てきた。
けれど事態はもっと悪い。
今私は情報の供給と広がりが世界を”果ての国”(Black Swan参照)に変えているとも思う。
インターネットは情報を人々に広げるから、相互依存、すなわち流行の悪化(ハリー・ポッターのようなベストセラーが生まれ、取り付け騒ぎが全世界的なものになる)がより起きるようになる。
そのため、世の中はより”複雑”で、もっと気分的で変わりやすい、ますます予測不可能なものになっている。
だから今の危険な状況を考えてみよう。
予測可能性が低まっているのに、(特にインターネットのおかげで)情報がより多くなり、それがもっと人間に自信をもたせ、自分が実際に知っているより知っているという幻想を強くするのだ。
2008年に始まった、この最近の経済危機を見てみよう。
2008年の時点で経済学者だと自称する人は地球上に100万人いた。
しかし、どれくらいの確率でどれくらい深刻なことがが起こりうるかを理解して、この危機から自分を守れた人はそのうち片手で数えられるくらいの人間しかいなかった。
歴史上、人類はこれほどの無知(予想の誤差という観点から容易に測れる)と知力の思い上がりを経験したことがない。
中央銀行総裁には債務水準(Debt level; 日本語わからん)といったバビロニア人(訳註: 1823B.C.-330B.C.と思う)でさえよく理解できるくらいに単純なリスクの物差しが全く欠如していた。
私は最近、賢明で博学な学者(めったにいないのだが)のジョン・エルスター(Jon Elster)と話をした。
ジョンは社会科学のテーマについて、キケロやセネカから、モンテーニュやプルーストに至るまで過去2500年の資料の中から著者の洞察をまとめている。
どのようにしてセネカが失ったことに対して抱く嫌悪感を洗練された方法で理解をしているかを彼は教えてくれた。
私はインターネットに使った時間を後悔していた。
家につくとすぐに、郵便の中にHuetianaと呼ばれたピエール=ダニエル ユエ主教によって書かれ、死後の1722年にファンによって編集されたたくさんの随筆があるのを見つけた。
ユエの死後4世紀というとても近い時期に生まれ、彼の死語書かれた文章で(訳注:推定;フランス語の)読み方を習っておきながら、ユエより私の知恵がそんなに進んでいるわけではないと知ってとても悲しかった。
近代人の上端は、古代人の中で近代人相当の知恵を持つ人と同じくらい頭が悪いのだ。
たとえ何か張り合うものがあったとしても、全然洗練されていないものだろう。
それで、世界を少しでもよく理解するため、私はインターネットの減量に取り組んでいる。
それに経済政策を決める人たちはまた恐ろしい間違いをすると私は確信している。
とはいえ私は完璧にインターネットから離れるわけではない。
厳格な配給制にして、とても過酷な減量をするだけだ。
確かに、技術はこの世界の最も素晴らしいものだ。
しかし、技術にはかなり巨大な副作用がある- そしてほとんどの人がこの先何があるかを予測することはできないだろう。
ほとんど情報に汚染されることなく静かな書斎にこもって時を過ごすから、私は自分の遺伝子と合致していると感じることができる。
私は自分の成長がまた感じられるのだ。
(元記事には以下に原文(英語)あるが省略)