「ブラック・スワン」の最も有効で優しい使い方 書評:ナシーム・ニコラス・タレブ「ブラック・スワン」


最近お世話になっている牟田さんのブログ
タレブのブラックスワンの書評があったので、ご紹介。
(以下、全文引用)

「ブラック・スワン」の最も有効で優しい使い方 書評:ナシーム・ニコラス・タレブ「ブラック・スワン」: "しばらく前に読了していたのだが、遅くなってしまった。

彼が言いたいことは、前著の「まぐれ」から変わっていない。

真の変化はそのシステム(=系・集合)の外からやってくる。

これだけ。

ホントにこれだけ。

でも、これが分からない人がわんさといる。
しかも「専門家」ほどこれがわからない。


本著のエッセンスは、「まぐれ」に、「禁断の市場 フラクタルでみるリスクとリターン」を加え、「予想どおりに不合理―行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」」で味付けしたもの。

この3著のエッセンスを完璧に理解しているなら、「ブラック・スワン」は読まなくてもいい。
完璧に理解していれば、ね。(あ、僕もか)
「ブラック・スワン」は、「まぐれ」よりも扱う対象が広がっているので、それでも有用かもしれないけれど。
そうそう、これも副読書で。(「なぜビジネス書は間違うのか ハロー効果という妄想」)

僕は以前、予測の仕事をしていた。
でも、本質的に予測なんてできないのだ、ということがわかった。
複雑系がきっかけだった。(関係ないけど、バタフライ効果って誤解されていない?)
複雑系がきっかけでエコノミストになったのに、皮肉なもんだ。
そして、タレブとマンデルブロは、予測の限界を別の角度から再確認させてくれた。

証拠をいくら並べ立てても意味はない。
反証が見つかっていないだけかもしれない。
逆に、反証は一つでいい。

これって、論理学では常識なのに、机の上を離れると何故みんなすっかり忘れてしまうのだろう?
裏付けを並べて、これが正しい、とのたまうものばかり。
専門家は毎日これを繰り返している。
これってまさしく、白い白鳥を並べて、だから白鳥は白い、と言っているに等しい。
そこに黒い白鳥が1羽出現するだけで、すべては崩壊。

確かに、確率的には白鳥は白い方が高いのかもしれない。
でも、影響を考えたら、実は黒い方の白鳥が、一発の破壊力を秘めているのだ。
そう、文字通り「秘めている」。
こいつはシステムの外側にいるのだ。
だから通常の系の内部をいくら観察したって、黒い白鳥の到来はわからない。
なのに専門家は、通常の系の中をたいへんな労力を使って観察し、そして分かった気になって素人さんをそそのかしている。

加えて彼らは、以下の病気に罹っている。
追認の誤り=知らないことを過小評価する、知ってることを過大評価する
講釈の誤り=因果関係の過大評価(情報は次元を落とさないと広がらないというトラップ)
物言わぬ証拠の問題=確率過程の実現しなかった部分を無視する

これ全部、「専門家」の深刻な病。
たちが悪いのは、ビョーキだと本人さえ気づかずに、いたいけな素人を騙し続けること。


もちろん、論理的帰結、というのはある。
ドラッカー的に言うと、すでに起こった未来、もある。
しかし、「いつ」というのはわからない。
本質的な意味での予測なんてできない。

だから僕は「予測」することはやめたのだ。
小さな変化を作る生き方に変えたのだ。
大きな変化に適応する生き方に変えたのだ。

投資も、予測するのではなくて、変化に対応できそうな企業を選ぶ。
経営コンサルも、現環境に最適化させるのではなく、変化に強い体質にすることに注力する。
これが、「先はわからない」ということをわかった時に、お客さまに対して真摯を尽くすことだと思ったからだ。
わからないということがわかったときに、それ以上騙し続けることができなくなったのだ。
お客様を、そして自分を。
これは大げさでも何でもない。
これは偽物だ、と思いながら、お客さんが求め続けるから提供し続ける、ということができますか?
そういうのに死にゆく貴重な時間を使えますか?

自称専門家の皆さま方、あなたたちはそれでいいのですか?
それでいいのでしょう、だってご自身がビョーキに気づかれていないのですからね。


タレブはどうしたか。
オプションを買い続けるファンドを作った。
これは正しい。
タレブを知る前からコチラで僕も指摘していたこと。
オプションを買い続けることが、彼ができるブラック・スワン対応策だった。
今、彼は、「果ての世界」(本著参照)は人に任せて、自分は研究や執筆、講演で「月並みの世界」にやや軸足を動かしているようだ。
(元々研究や執筆は「果ての世界」だが、一度ブランドができると優雅な「月並みの世界」になる?)


私は予測ができます、なんていう人がいたら、
すかさず耳をふさいで、そっと「ブラック・スワン」を手渡してあげよう。
後講釈を滔々と垂れ出す人がいたら、
その場を離れる前に、そっと「ブラック・スワン」を手渡してあげよう。

それが優しさってもんだ。
おそらくそれが本著の最も有効な使い方なのだ。

それでもビョーキが治らない場合は、そのお方がた自体をカラ売りする方法を考えてみよう。
僕と一緒に。
(あ、彼らの言っていることが常に外れるという意味ではないですよ、念のため)

PS.去年の年末、生タレブの講演聴く機会があったのですが、文章の辛辣さとは違って、ユーモアのあるいいプレゼンターでした。

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