片山右京さん遭難について
元F-1レーサーの片山右京氏の遭難騒動で様々な報道が流れているが、今朝知った登山家の野口健さんのご見解をみな見てから言っているのだろうか?以下に全文ご紹介したい。
(以下引用)
右京さん遭難の一報の直後からテレビ、新聞などの報道陣から話を聞きたいと連絡が相次いだ。そして何人かの記者から「片山さんが登山仲間を残したまま下山しましたが、どう思いますか!」と、最初から右京さんの判断に問題があったのでは、といったニアンスの質問が相次いだ。
しかし、私はその質問が辛く胸をえぐられる様な痛みを感じていた。何故ならば2年前私がチョモランマに登頂した日の出来事が頭の中を駆け廻っていたからだ。一緒に登頂した日本人登山家が下山開始直後に歩行困難となり、彼は私に向って「先に降りてください」と伝えてくるのだが、そんなこと出来るわけでもなく、そして次に「すぐに追いつくから先に降りていて」と。
一緒にその場に留まるのか、それとも先に降るのか。あの標高で彼を背負って降りる事は不可能。つまり助ける事は出来ない。かといっていつまでも一緒にその場に留まっていれば自分もやられる。酸欠と究極の極寒の中、自分はどうするべきなのか、なかなか判断できないまま彼に声をかけ続けていた。どれほどの時間が経過したのか、「う~ん」と唸り声と共に彼の首がガクッとなり、そのまま脈が落ちた。私の手も寒さで悴んでいたので本当のところ、彼の脈が止まっていたのかどうか、正直分からない。しかし、最後は自分が生きて帰らなければならないと、彼に「自分はどうしても帰らなければならない。申し訳ない」と声をかけ、彼の体が落ちないように岩にロープで固定し下山を始めた。
あの時の出来事が未だに何度も何度も夢に出てきます。今振り返ってみてもあの状況ではやはり助ける事は出来なかった。しかし、彼を残したまま下山した、置き去りにしてしまったことには変わりはない。
強風でテントごと200メートル滑落した仲間に寝袋や毛布でくるみ覆いかぶさるようにして温め朝まで「頑張れ、頑張れ」と声をかけながら体をさすり続けた右京さんの姿が私にはリアルに想像できてしまうだけに辛かった。亡くなった宇佐美さんとは学生の頃に交流があった。
右京さんが下山を開始したのは午前11時過ぎ。遭難してから約12時間後。動く事もなく仲間に覆いかぶさったままの状態は右京さんにとってもギリギリの状況であったはず。
右京さんが仲間を残したまま下山したのは間違えていなかったと思う。最後は生き延びなければならない。極めて冷たい表現に写るかもしれませんが、冒険では一部例外を除けば基本的には自己責任が求められるもの。
そして報道陣からの質問の中で「この寒い時期に富士山に登ったことについてどう思いますか」とありましたので、それに対しては、「右京さんは12月中旬から南極大陸最高峰ビンソン峰遠征を控えていて、そのトレーニングだとするのならば、南極大陸の厳しい環境を想定した上で、可能な限り南極の状況に近い厳しい条件の中であえてトレーニングを行っていたとするのならば、それは当然のこと。富士山に登ることだけが目的ならば快晴無風の方がいいに決まっているが、南極遠征のトレーニングならば趣旨が違ってくる」と説明しました。私自身、南極遠征の時に同じような時期に富士山で最終トレーニングを行ったことがある。
厳冬期の富士山は時にヒマラヤ以上に厳しくなる。独立峰ゆえの凄まじい強風。逃げ場がなく、表面の雪面もガリンガリンに凍りつき、固くなった氷にはアイゼンの爪も充分には刺さらない。そして山頂付近でスリップしてしまえば、凍った滑り台から落ちるようなもので五合目付近まで落ちてしまうことさえある。
したがって冬の富士山は極めて厳しいのだが、だからこそヒマラヤ遠征前や南極遠征前に富士山でトレーニングする意味があるわけです。
山岳遭難には様々なケースがあります。経験不足による遭難もあれば、どんなにベテラン登山家でも相手が自然となれば時に遭難することもある。実際に一流の登山家も山で遭難してきたわけです。防げる遭難もあれば防げなかった遭難もあっただろう。なにしろ、生と死の世界が入り交ざるギリギリの世界の中で挑戦を行えば当然、リスクは付きまとう。
右京さんは7大陸最高峰登頂を目指すために、宇佐美さんという山の専門家を自身の事務所スタッフにし、ヒマラヤでの登山もまたトレーニングもこなし、計画的にチャレンジされていた。その上での事故だと私は思っています。
亡くなった宇佐美さん、堀川さんも、右京さんの7大陸最高峰登頂挑戦をサポートし一緒に夢に向かって歩んでいたのだと思います。だとするのならば、亡くなった彼らに対し最大の供養となるのは、右京さんが立ち直っていつの日か7大陸最高峰への挑戦を達成することではないでしょうか。
冒険人生は冒険から得るものもあれば、時に失うこともある。それでも、挑戦を続けなければならない時がある。冒険人生とはそういうものなのかもしれない。
宇佐美栄一さんと堀川俊男さんのご冥福をお祈りいたします。"