【レビューNo.1834】満州とアッツの将軍 樋口季一郎 指揮官の決断
満州とアッツの将軍 樋口季一郎 指揮官の決断 評価★★★★ 前々から大戦末期の北方方面での対ソ戦でのことは学ばないといけないと思っていたが、 例のキスカ島撤収作戦の小説 に、準主役級でこの方の名前が出てきたので、ほんの些細な気持ちで本書を読み始めたが、ほんとにすごい方だ。 あの石原莞爾と陸軍中央幼年学校、陸軍士官学校、陸軍大学校と同期の桜で、結婚後は互いに家族ぐるみの付き合い。この時代は陸軍大学校に落ちた者が東大に行く時代なので、二人ともとてつもないエリート中のエリートなのだ。事実欧州駐在中はオペラ鑑賞を趣味とし、ダンスやピアノを学び、社交界にも出入り(それが諜報の上で必要だったという事情もあるが)していたというから、単なる軍人バカ(失礼)では無いのだ。彼の部下であった人間が、永田鉄山を暗殺し、結果日本が果てることない戦争に突き進んでしまったのは日本の悲劇か(親友である石原莞爾も米国との最終戦争に備えて、中国での戦線拡大には反対であり、結果閑職に追いやられ戦後失意の死を遂げたと言う)。 ハルビン特務機関時代はシベリア鉄道で逃げ延びてきたユダヤ人(一説には累計2万人)救出に加担、その責任を問われ東條英機参謀長(当時)に呼び出された時は東條に「参謀長、ヒットラーのお先棒を担いで弱いものいじめすることを正しいと思われますか」と言い放つ(結果、不問)。 その後、北部軍司令官としてアッツ玉砕の苦渋の決断とキスカ島撤収の奇跡を生む。 広島に新型爆弾投下との一報を聞いて、当時北大の中谷宇吉郎と面談、中谷から「二、三年は大丈夫と考えて居た。それは原子爆弾です。」との情報を得る。 終戦時は、8/15以後も侵略するソ連軍を占冠島で撃退(撃退した戦力の大半は元キスカ島守備隊兵員であり、装備、士気も高かったという)し、からくも米軍北海道進駐までの時間を稼ぎ、結果日本が分断国家になることを防いだ。樋口は若い時分の欧州駐在の頃の経験からソ連(ロシア)を強く警戒し続けており、最後の最後で彼の知見が役立ったのだ。 ある意味、今日の日本の姿が保つことができた(北方領土は奪われたが北海道は残った)のも彼のおかげだ断言しても、決して言い過ぎではあるまい。戦中秘史とでも言うべき好著であろう。