偽リーダー論2

昨今はツイッターでも舌鋒鋭い投稿で有名な、宋文洲さんのブログから。
(以下全文引用)

偽リーダー論2: "・完璧を求める人はリーダーではない
完璧を追求することは良いことですが、それは匠や職人の世界でしか通用しない話です。自然や人間を相手にする場合、完璧を求めることは我がままであり、不可能です。ミスした人、失敗した事業、負けた競争・・・組織をリードしていると不味いことの処理がリーダーの仕事の核心を占めます。完璧を求めると部下が離れていくだけではなく、自分自身も体が持ちません。

しかし、どこまでなら部下の欠点を許し、どこまでいくと厳しい判断をしたほうがいいだろうか。これについて明確な基準はないものの、リーダーは経験を通じて自分の中で一線を引く必要があります。

中国のリーダー学には「疑人不用、用人不疑」という言葉があります。「疑う人物を使わない。使う人物を疑わない」という意味ですが、その意味は決して文字の通りではないのです。曹操が戦いに勝利した際、敵陣から押収した書類に部下からの転向を探る手紙も含まれていました。「全部焼け!」と命令した曹操は決して部下を疑っていないのではなく、「このくらいは許してもよい」という線引きがあったからです。

「疑わない」とは「知りながらも気にしない」という寛容であり、リーダーの心の広さです。決して事実も知らないで「性善説」とか「信じる」とかを妄信する幼稚な話ではないのです。

中国の大手不動産の社長に部下の不正について感想を聞きました。小学校卒の彼は笑いながら答えました。「わしの企業は大樹。当然虫もつく。外に出てきた虫はつぶしてやるが、木の穴に隠れている奴も多い。むかし、わしはいろいろなものを穴に入れて退治しようとしたが、結局、木も弱ってしまう。今はそこまでしない。大樹の元気を守るのが大事だから」。

これは無学な彼が苦労を通じて得た経験談ですが、私は妙に納得しました。トータルでプラスかマイナスか、たぶんこれがリーダーの「寛容」と「放任」を線引きする基準だと思います。

・贅沢が好きな人はリーダーではない
理由は分かりませんが、本物のリーダーはだいたい生活上の贅沢を求めない傾向があります。ちょっと儲かるとすぐ別荘を作ったり、外車を買ったりする中小企業の社長はだいたい大成しないです。不思議なくらいです。

もちろん、車と家を持つことが贅沢だと言えない場合も多いのです。数千億円の資産を有する実業家にとっては美術館やゴルフ場を持つのは決して贅沢だと言えません。贅沢とはあくまでも相対的なことであり、その人のその時の財力と関係するのです。

先日、飛ぶトリを落とす勢いのニトリの似鳥社長と銀座に飲みに行きました。似鳥さんは少しだけ高級な国産車なのに同行の未上場ベンチャー社長がリムジンに乗っていました。しかも、似鳥社長は店についたらすぐドライバーを家に返しました。深夜、私と並んでタクシーで帰る似鳥社長の姿勢に感動を覚えざるを得ませんでした。

私はモラルや精神の角度から「贅沢はいけない」と言いたくありません。純粋なリーダー学から解釈を試みたいと思います。たぶん贅沢とは自分を甘やかす行為でしょう。自分を奨励する役割も認めますが、物質に頼る奨励はいずれ限界に達するでしょう。

物質に頼らなくてもリーダーは報われる瞬間はたくさんあります。むしろそれを感じるかどうかはリーダーであるかどうかの分水嶺でしょう。飲み屋の女の子がニトリの家具を使っている話を聞く似鳥さんの嬉しそうな顔は印象的でした。
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